「予祝」

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(写真は、春分前日の朝日。自宅の前から。)

「予祝」という言葉をご存知ですか?

私は、今日初めて知りました。

「致知」をいう雑誌を6年ほど前に定期購読するようになった当初、ある号にに出ていた北川八郎氏に感銘を受け、その時はしばらく彼の書籍に触れたり、ブログを読んだりしていました。

しばらく私の中で疎遠になっていましたが、今月の「致知」に北川八郎氏が再び登場されていて、ふと今日サイトに伺ってみたら、ポッドキャストを始められたと知って、早速最近のものを聞かせて頂きました。

そこで、「予祝」のことを語られていました。

それは、「どん底を祝う」いうことです。

人生、最悪の状態で、このまま生きていてもいいんだろうかと思ったとき、このどん底の感覚を祝い、これから良くなっていくんだと信じていくこと、もっと良くなっていくんだとそれを求めることをしなさいと、いうことを教えていただきました。

このお話との出会いが、あまりにタイミング良く、驚いてしました。

この3連休、何か特別なことがあったわけではないのに、ある瞬間から「私の人生には何もない」という「”ない”探し病」と自分でつけている感覚が湧き上がってきて、どうしたものかなと、自分を観察していたのです。

「本当に、この生き方で良かったのだろうか?」

「私は、なんの価値もない人間なのではないか?」

「もう今更、遅いのではないか?」

先日、「私は愛されている」というブログを書いた張本人がこのような調子ですから、救いようがないというか、「あなた何をしているの?」という感じです。

私はこのようなとき、無理にポジティブに考えたりせず、とことん「どん底」を味わうようにしています。

それは、自分を信頼できるようになったからかもしれません。

これらのネガティブな感覚が、なんらかの理由で今表面化していることを受け止めて、その感覚を思う存分出してあげれば、後は自然と向くべき方向へと向かっていくとわかるようになったからでしょう。

そうやって過ごした数日間を終えた後、こうして「予祝」という言葉に出会い、一気に勇気付けられた感覚になりました。

このような瞬間があると、だから「やっぱり愛されている」と思うんです。

「私は、やっぱり愛の中で生きているんだな」と思うんです。

見捨てられていない。やっぱり、全てはこの愛(アイ)の感覚を思い出すために起こっていると再確認させてもらうのです。

それは、私だけでなく、みんなも同じ条件の中で生きていると、私は信じています。

もしあなたが今人生の「どん底」を味わっているとしたら、ぜひその「どん底」の感覚を祝ってみてはどうでしょうか?

私も、あなたと共にいます。

私たちは、独りぼっちではありません。

ザリッチ宏枝

白昼夢

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こちらの写真のような空を見ると、空にいる「何か」もHOMEに帰るんだなあ、なんて想像してしまいます。

その「何か」は、想像の世界なので何でもいいのですが、目には見えないけど、空に存在する「何か」は、時に雲という形になって、私たちに何かしらのメッセージを伝えようとしてくれていると思うのは、考えすぎでしょうか?

小さい頃から、白昼夢を見るのが大好きでしたが、いい大人になってもこの癖は変わりません。

「白昼夢」を辞書で調べるとこのように説明されていました:

“目が覚めている時におこる,夢に似た,現実性を帯びた空想。現実の世界で満たされない事を空想の世界で満たそうとする場合に多い。”

辛い現実がある時でも、嬉しい現実がある時でも、私は「白昼夢」を頻繁に見ているように思いますが、やはりどちらにしても、現実で満たされないものを空想の世界で満たそうとしているのでしょうね。

でも、長年そうしてきて思うのは、「白昼夢」で見る世界は、月日を経て現実になっているというところが不思議です。

さて、このような夕日に出会うとき、いつも「私も一緒にHOMEに帰りたい」と大の大人ですが、涙ぐむ時もあります。

この感覚がどこから来るのかわかりませんが、これは小さい時からありました。

皆さんは、どうですか?

夕日を見て、そんな感覚になる時がありますか?

最近は、そのような感覚が湧き上がってきたら、「HOMEは、自分の中よ」と突っ込みを入れる余裕が出てきました。

そう、HOMEはどこかにあるわけではないようです。

HOMEは、どんな時も自分の中にある。

「アイニカエル」感覚を掴めると、この感覚がわかります。

今、「アイニカエル」感覚をしっかりと実感してもらうための個人セッションの新しいメニューが出来上がってきているところです。

新しいセッションルームで、新しいメニューで、あともう一歩で「アイニカエル」場所に入れそうな人のサポートができたらと準備をしているところです。

また準備ができたらご案内させて頂きますね。

「白昼夢」も、夜見る「夢」も、これからも大事に、大事にしたいと思っているところです。

ザリッチ宏枝

清らかさ

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先日、久しぶりに外宮さんへお礼参りに伺いました。写真は、外宮さんの古殿地(新御敷地)のその時の様子です。

いつもは早朝に伺うことが多いのですが、その日は午前10時半頃の時間帯で、平日にも関わらずたくさんの観光客の人達で賑わっていました。皆さんそれぞれに、この地にいらしたことを喜ばれている気が伝わってきて、こちらもとても楽しい気持ちになりました。

私は、アメリカでの暮らしからこの伊勢に戻ってきた11年前にやっと「日本」という国について深く感じたいと思うようになって、この地の伊勢神宮のことを深く理解したいと思うようになりました。

伊勢神宮の在り方から学ばせてもらうものはたくさんあります。

その中でもいつも思うのが、「人が成せることとは何か?」を一番体感を持って教えてくれたのはこの場所でした。

ミネソタ州の北部にバウンダリー・ウォーター・カヌー・エリア・ウィルダネス(以下BWCAWと省略)という、カヌーイストたちのために保護された場所があります。その区域内だけでも何百個も湖があって、幾つもの湖を渡りながら旅ができる場所があるのですが、そこで私は自然の中にいる素晴らしさを教えて頂きました。

伊勢神宮も自然が保護された素晴らしい場所です。でもただの自然が保護された場所、あるいは自然と共に生きている場所以上の「気」が流れていることを、ずっと疑問に思ってきました。

一体この気は、何だろう?

「神さまが宿っているから」と答えることも出来ると思いますが、私はミネソタのその場所にも自分なりの「神」を感じました。「神はどこにでもいる」と私は自分の体験からそう思っているのです。

でも、伊勢神宮とBWCAWや他の大自然を感じられる場所とでは、やはり何かが違うのです。

その違いを考えていた時、ある日ふと思い浮かんできたのは、神宮の自然には「人」が深く関わっているということでした。

BWCAWもキャンプサイトの設置など人の手が入っていますが、そこに人としての「日々の営み」があるわけではありません。

でも神宮には、人としての日々の営みがあり、それが1日にも欠かさず千五百年以上と続いている。

人が当たり前のことを当たり前のこととして、黙々と淡々とやっていくことは、もう当たり前のことではないですが、その営みから作り出されるものが、この独特な「気」を作り出すのではないかとある時ふと思ったのです。

この独特な「気」に形容詞をつけるなら、やはり「清らかさ」だと思います。

この清らかなエネルギーは、自然の中の木々や草花だけでは、そして動物だけでは作り出せない気であると思います。

地球上で唯一人間だけしか創り出せない気、エネルギーは、「清らかさ」。

伊勢神宮の参道を歩かさせて頂く度に、このことを思うのです。

私にとって伊勢神宮とは、人として、日々どのように生きたらこの清らかな気を創り出せるか?をいつも考えさせられる場所です。

先日伺った時も、そのことをとても考えてながらお参りさせて頂きました。

「清らかさ」のお手本となる場所が近くにあり、このように身近に体感させて頂けるのは、本当に有難いことだと思いながら歩かせて頂きました。

また今日も自分の居る場所に、この「清らかさ」を創り出せるように頑張りたいと思います。

ザリッチ宏枝

「私は愛されている」

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何か良いことがあると、自然と感謝が湧き上がってきたり、「愛されている」と感じたりすることが容易にできます。

でも、辛いことがあったり、体調を崩したり、急に不安な気持ちに襲われたり、不運だと思うようなことを体験している時には、この「愛されている」という感覚を持つことは、とても難しいことだと思います。

でも、辛い時こそ「愛されている」と感じることできたら、どんなに救われることでしょう。

ずっと以前に学んでいたアロマのレッスンで、「全ては愛の中で起こっている」という言葉に出会った時、心の奥底ではそれが真実だと反応しながらも、心レベルで納得するまでには時間がかかりました。

今では、「全ては愛の中で起こっている」と完全に信じることができるようになりましたが、これまで何度も辛いことがある度に、マントラのようにこの言葉を唱えていたことが懐かしいです。

「私の日常の中で起こる全てのことは、私の中の愛を思い出すために起こっている。」

そう思うことで、何度救われたことでしょう。

「愛がないから苦しんじゃない。愛があるから苦しんだ。」

そう何度、自分に言い聞かせたことでしょう。

本当によく観察していると、最悪だと思う状態の時でも、そこに救いが用意されています。

どんなに辛い時でも、「まだ、こうして生きている、生きていることだけでも、すごいことだ…」と思えたら、もう大丈夫です。

生きてもいたくないほど苦しくても、でもやっぱり生きている…。そのことが、本当はとても有難いことだと気づけたら、もう大丈夫です。

人は、自分の中で「愛されている」という感覚を持てることができたら、何が起きていても、心を強くしていられます。

「私は愛されている」

何か良いことがあったわけでも、誰かから愛される行為をされた訳でもなく、どんなに暗闇の中にいてもそう感じることができるように多くの人になってもらいたいと思っています。

「みんな愛されているんだよ!」と、地球上に響き渡るくらいに声を張り上げて叫びたいくらいです。

「みんな、愛されている」

これは、真実です。

ザリッチ宏枝

「今だ!」

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皆さんは、ある時急に「今だ!」という感覚が湧き上がってきて、そう感じた通りに動いたら、物事がすごくうまくいったということがありますか?

私は、とてもよくあります。

「今だ!」と思って動いたら、

「丁度、これ探していたんです!昨日、お店で買おうかどうか迷っていたくらい。そして、今日は私の誕生日なんです!」

「丁度、そのテーマでお仕事をしたいと思っていたんです。」

「丁度、それをやりたいと思っていたんです。」

「丁度、昨日からそのことがテーマだと答えを探していたんです。」

「丁度、これ食べたかったの!」

という会話になることが多く、タイミングよく動けたことに共に喜びを感じるがことが増えています。

今回の新しい仕事場についても、何十件もネット上で検索していた日々が続いた後、ある朝に「今だ!」と、ある不動産屋さんを思い出して出かけていったら、まず最初に紹介された物件でした。

でもこの「今だ!」が来た時、やるべきことをしていなくて他のことの処理で忙しくしていたり、モタモタしてしまって、感じたままに動けずにいると、事を起こせないことも多いのです。

なので、今の私は、「今だ!」が来た時にすぐに動けるように、日頃から片付けるべきことは早め早めにして、体も心も、身の回りも整えておくことを優先するようになりました。

それでもまだまだモタモタすることが多く、もっと先手先手で動けるようになりたいと思っています。

この「今だ!」の感覚は、私にとって、空を見上げるタイミング、4つ葉のクローバーを見つけるときのタイミングにも関係していることがわかってきました。

「今だ!」という感覚が自分に入った時に空を見上げると、この記事に使った写真のように空に虹色の部分を発見するのです。

そして、愛犬を散歩途中に「今だ!」の感覚が入った時に地面を見ると、ほとんどの場合、そこに4つ葉のクローバーがあるのです。

この感覚は、これから生きていく上でとても大切な感覚であるように思うので、意識を向けるようにしています。

皆さんもこのような感覚が走る時は、偶然だと思わず、ぜひしっかりと意識を向けて観察してみて下さいね。

何かとても大切なことに気づくきっかけかもしれません。

私も引き続き、観察を続けたいと思います。

ザリッチ宏枝

森から空へ

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こちらは私と主人が共有するレッスンとセッションのためのスペースです。

8畳一間にちょこっとキッチンがついていて、トイレとバスは別々で、ベランダなし、北向き。

住むにはあまり良い物件ではありませんが、私たちがお仕事で使用させてもらうには充分なスペース、条件でした。壁紙を自分たちで張り替えた後、大家さんが新しいエアコンを用意してくれて、最初にこのお部屋を見つけた時よりも、随分とお仕事させて頂きやすい環境が入居を決めてから整っていきました。普通の住居を営業用に使わせて頂くことに許可を頂けることはあまりない中で、こちらの大家さんはそのことを快諾して下さるという、本当に有り難い流れがありました。

この場所は、車でのアクセスも良く便利の良い場所でしたが、周りに木々も多く、敷地内にもたくさんの花が植えられていて、四季折々に楽しませていただきました。鳥も蝶々もたくさん飛んできて、森の中にいるような感覚になるお部屋でした。

7年もの月日が流れる中で、たくさんのレッスン、セッションをさせて頂きました。たくさんの涙と笑いがあり、このお部屋の空間が本当に大好きでした。

ただそれでも不便さを感じることも出てきていたので、もっと良い場所はないかなと、これまでに何度か引越しの話が出たのですが、どれも実現せずにいましたが、この2月に入って突然体と意識が動いて、新しい物件を探す流れになり、すぐに候補となる物件に出会いました。

もう来週からですが、新しい場所でレッスン・セッションルームがオープンになります。

車だけでなく、公共交通機関のアクセスも良い場所になったので、森の中という環境とはいきませんが、今度は「空」をとても感じるお部屋となりました。

私が時々インスピレーションを頂く「朝熊山」という山も見えるお部屋になりました。

私は、近鉄電車が走っているのに出会うと妙にワクワクしてしまうのですが、新しい場所は駅に近いので(近鉄五十鈴川駅徒歩4分)1日に何度も近鉄電車が走っているのが見れるのもワクワクします。

お仕事用の場所であれば、住居用でなく、店舗用の場所をお借りしてしっかりした店構えにするのが本来のステップアップなのだと思いますが、私たちの場合は、スペースが大きくなるだけで、また住居用のスペースです。ここをまた皆さんにとって学びやすい環境に育てていきたいと思っています。

ちょうど世間は卒業・入学シーズン。別れと出会いが交差するこの時期、私たちのお仕事の場もその様な感覚で、これまで慣れ親しんだものとの別れへの寂しさと、新しい出会いへのワクワク感の感情が交差しています。

何であれ、前に進むことは良いことだと思って頑張りたいと思っています。

また準備が整いましたら、新しい場所についてはご案内をさせて頂きます。

この新しい場所で、多くの出会いがあることを、今心から願っているところです。

ザリッチ宏枝

集合的意識とアイ意識

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先日、少し用事があって、都会の方へ車で出かけました。

その時、いくつかの都市をハイウェイで通り抜けていく時間、意識的にものすごい圧迫感を感じました。

そして、それらの場所から、伊勢へと戻る道の中で、その圧迫した意識が、また解放されていくのを感じました。

近鉄電車で、名古屋や大阪方面から伊勢へ向かうと、「伊勢中川」という駅を過ぎた辺りから空気が突然変わるのを感じる感覚と似ていました。(そちらの方面から伊勢にいらっしゃる人は、ぜひ意識してみてくださいね。)

私は、東京に12年ほど住んだことがあるのですが、多くの刺激が欲しかった時に住んでいましたから、東京は大好きでした。出張でよく行っていたNYも大好きです。今も、2、3年なら住んでみたいと思っています。

今も思うのですが、都会は人の意識がググッと集まっているので、人でしか作り出せないものが良い意味で刺激的であり、人口密度の少ない場所と比べると、「洗練」されたものがたくさん生まれるなと感動します。

そして、人口密度が少なく、圧倒的に自然が多い場所にいると、やはり自然から感じる穏やかさに癒されます。ただ、人としての「洗練さ」に関しては、その刺激が少ないからか、自分を「律する」習慣がないと、緩やかすぎる感覚になってしまうなと感じています。

どちらが良いか悪いかでなく、それぞれに「場」の特徴があり、それに多大なる影響を私たちは日々受けていることを意識することがとても大切であると感じるようになりました。

今回、車での長距離移動で感じたのは、都会に住んでいた時の自分と、地方に住んでいる今の自分の意識の違い、そしてその「場」に集まっている「集合的な意識」に自分はとても影響を与えられる体質であることを思いました。

そして今回思ったのは、これらの「場」をこれからも敏感に感じて、それぞれの「場」の特徴に流されず、上手に利用する意識を持ちながら、「自分軸」をしっかり強化させていく生き方が大切であることを改めて感じたのです。

自分らしく生きるために、「私はこう生きたい!」と思っていることが、本当に自分の内側から出て来ているものなのか(アイ意識)、周りの多くの人が共通して思っていることから来ているものなのか(集合的意識)、その意識の出元を確認しながら生きていくことは大切です。

あなたの生き方は、自分の内側から溢れ出てきた生き方ですか?

それとも、周りが良しとする生き方ですか?

どちらが良い悪いではありません。

ただいつも、自分はどのような意識の中で生きているのかを、しっかりと感じていることは大切です。

私はまだまだ「アイ意識」から来るものだけで生きている状態ではないのを感じます。

時に、意識的に、そして今はほとんどの場合無意識に、周りが良しとしている生き方で過ごしていることも多いのを感じます。

私は、どちらかと言うとこれからの人生は「アイ意識」だけで生きていくことを実現したいので、今日もそれに向かって頑張ります。

皆さんもぜひ今日は、「私の生き方は、”アイ”から来ているものか?それとも、周りが良しとするものから来ているものか?」と自分に問いかけながら過ごしてみて下さい。

素晴らしい気づきの1日になることをお祈りしています。

ザリッチ宏枝