「そうなんだね」

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伊勢では、桜もピークを過ぎて、これから葉桜になっていく様子です。

この時期は、桜の木の下を歩くと、風が吹く度にピンク色で少し甘い香りのする花びらが舞い、その花吹雪に包まれ、幸せな気持ちになります。

皆さんは、今年はどのように桜を楽しまれたでしょうか?

こうやって自然界では、次から次へと木々や草花の芽吹きが起こり、開花していくエネルギーで周りが満たされていく中で、それとは逆行して、心は暗く、この時期こそ引きこもりたくなる人は実は驚くほどいらっしゃいます。

かつて、私自身がそうでした。特に、小学校高学年から30代前半までそうだった記憶があります。気温が暖かくなると、着る服もどんどんと薄くなり、体の露出が増えていきますが、そのことも何故か心を不安にさせていたようでした。

それは、秋が訪れると同時に、一枚一枚着る服を増やせていける度に安心感を感じていたことが物語ってくれます。

世間が明るくなっていくのと同時に、自分は隠れたくなる。そしてそんな自分を隠そうとして、明るく振る舞い疲れてしまう。

小さい頃から、そうやって心をかなり疲れさせていました。

そういう自分が嫌で、そういう心の状態になることから抜け出したい一心でしたが、今となっては、「そうなんだね。その自分を今はしっかりと感じていたらいいんだよ。」とその頃の自分に声をかけてあげたいと思えています。

コアハーモニーにご相談にいらっしゃる人は、今の現状からどうしても抜け出したくて、ここから何をしたら、何を変えたらいいかを見つけにいらっしゃる人がほとんどです。

でも、今の現状から抜け出す方法をまず探すよりも、今の現状を受け入れて、その自分をそのまま愛していけるようになると、何をしたらいいかの答えがすっと自分の中から出てきます。

あなたが今もし悩んでいて、今の現状からどうしても抜け出したいと思っているのなら、そうやって悩んでいる自分の心を抱きしめて、「そうなんだね」と言葉をかけてあげて下さい。

今はそれ以上、何もする必要はありません。

ただただ、「今」を受け入れる。

「本当の自分」の声は、いつも「そうなんだね」とあなたを全受容するエネルギーであなたを包み込んでくれます。

それ以外の声は横に置いて、今は自分を暖かく見守ってあげて下さい。

それが悩みから抜け出す、まず一歩となります。

ザリッチ宏枝

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この数年、ブログサイトをあちこちに移転ばかりしてきましたが、ようやくHOMEと感じる場所、コア・ハーモニーのホームページ内に設置したブログページに今後は記事を更新していきます。こちらで読者登録をして下さった方は、何度も本当に申し訳ありませんが、こちらの新しいページに時々いらして下さい。今のところ新しいブログページ先では、読者登録の機能(更新時にメールが届く)がなく、RSSフィードの登録のみとなります。もしRSSフィード機能をお使いの場合は、そちらに登録して頂けると更新時にお知らせが届きます。

人生への答えを探している人に、「その答えは自分の中にあるよ」に気づいて頂けるための記事をこれからも書いていきたいと思っています。これからも、どうぞよろしくお願い致します。

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「予祝」

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(写真は、春分前日の朝日。自宅の前から。)

「予祝」という言葉をご存知ですか?

私は、今日初めて知りました。

「致知」をいう雑誌を6年ほど前に定期購読するようになった当初、ある号にに出ていた北川八郎氏に感銘を受け、その時はしばらく彼の書籍に触れたり、ブログを読んだりしていました。

しばらく私の中で疎遠になっていましたが、今月の「致知」に北川八郎氏が再び登場されていて、ふと今日サイトに伺ってみたら、ポッドキャストを始められたと知って、早速最近のものを聞かせて頂きました。

そこで、「予祝」のことを語られていました。

それは、「どん底を祝う」いうことです。

人生、最悪の状態で、このまま生きていてもいいんだろうかと思ったとき、このどん底の感覚を祝い、これから良くなっていくんだと信じていくこと、もっと良くなっていくんだとそれを求めることをしなさいと、いうことを教えていただきました。

このお話との出会いが、あまりにタイミング良く、驚いてしました。

この3連休、何か特別なことがあったわけではないのに、ある瞬間から「私の人生には何もない」という「”ない”探し病」と自分でつけている感覚が湧き上がってきて、どうしたものかなと、自分を観察していたのです。

「本当に、この生き方で良かったのだろうか?」

「私は、なんの価値もない人間なのではないか?」

「もう今更、遅いのではないか?」

先日、「私は愛されている」というブログを書いた張本人がこのような調子ですから、救いようがないというか、「あなた何をしているの?」という感じです。

私はこのようなとき、無理にポジティブに考えたりせず、とことん「どん底」を味わうようにしています。

それは、自分を信頼できるようになったからかもしれません。

これらのネガティブな感覚が、なんらかの理由で今表面化していることを受け止めて、その感覚を思う存分出してあげれば、後は自然と向くべき方向へと向かっていくとわかるようになったからでしょう。

そうやって過ごした数日間を終えた後、こうして「予祝」という言葉に出会い、一気に勇気付けられた感覚になりました。

このような瞬間があると、だから「やっぱり愛されている」と思うんです。

「私は、やっぱり愛の中で生きているんだな」と思うんです。

見捨てられていない。やっぱり、全てはこの愛(アイ)の感覚を思い出すために起こっていると再確認させてもらうのです。

それは、私だけでなく、みんなも同じ条件の中で生きていると、私は信じています。

もしあなたが今人生の「どん底」を味わっているとしたら、ぜひその「どん底」の感覚を祝ってみてはどうでしょうか?

私も、あなたと共にいます。

私たちは、独りぼっちではありません。

ザリッチ宏枝

白昼夢

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こちらの写真のような空を見ると、空にいる「何か」もHOMEに帰るんだなあ、なんて想像してしまいます。

その「何か」は、想像の世界なので何でもいいのですが、目には見えないけど、空に存在する「何か」は、時に雲という形になって、私たちに何かしらのメッセージを伝えようとしてくれていると思うのは、考えすぎでしょうか?

小さい頃から、白昼夢を見るのが大好きでしたが、いい大人になってもこの癖は変わりません。

「白昼夢」を辞書で調べるとこのように説明されていました:

“目が覚めている時におこる,夢に似た,現実性を帯びた空想。現実の世界で満たされない事を空想の世界で満たそうとする場合に多い。”

辛い現実がある時でも、嬉しい現実がある時でも、私は「白昼夢」を頻繁に見ているように思いますが、やはりどちらにしても、現実で満たされないものを空想の世界で満たそうとしているのでしょうね。

でも、長年そうしてきて思うのは、「白昼夢」で見る世界は、月日を経て現実になっているというところが不思議です。

さて、このような夕日に出会うとき、いつも「私も一緒にHOMEに帰りたい」と大の大人ですが、涙ぐむ時もあります。

この感覚がどこから来るのかわかりませんが、これは小さい時からありました。

皆さんは、どうですか?

夕日を見て、そんな感覚になる時がありますか?

最近は、そのような感覚が湧き上がってきたら、「HOMEは、自分の中よ」と突っ込みを入れる余裕が出てきました。

そう、HOMEはどこかにあるわけではないようです。

HOMEは、どんな時も自分の中にある。

「アイニカエル」感覚を掴めると、この感覚がわかります。

今、「アイニカエル」感覚をしっかりと実感してもらうための個人セッションの新しいメニューが出来上がってきているところです。

新しいセッションルームで、新しいメニューで、あともう一歩で「アイニカエル」場所に入れそうな人のサポートができたらと準備をしているところです。

また準備ができたらご案内させて頂きますね。

「白昼夢」も、夜見る「夢」も、これからも大事に、大事にしたいと思っているところです。

ザリッチ宏枝

清らかさ

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先日、久しぶりに外宮さんへお礼参りに伺いました。写真は、外宮さんの古殿地(新御敷地)のその時の様子です。

いつもは早朝に伺うことが多いのですが、その日は午前10時半頃の時間帯で、平日にも関わらずたくさんの観光客の人達で賑わっていました。皆さんそれぞれに、この地にいらしたことを喜ばれている気が伝わってきて、こちらもとても楽しい気持ちになりました。

私は、アメリカでの暮らしからこの伊勢に戻ってきた11年前にやっと「日本」という国について深く感じたいと思うようになって、この地の伊勢神宮のことを深く理解したいと思うようになりました。

伊勢神宮の在り方から学ばせてもらうものはたくさんあります。

その中でもいつも思うのが、「人が成せることとは何か?」を一番体感を持って教えてくれたのはこの場所でした。

ミネソタ州の北部にバウンダリー・ウォーター・カヌー・エリア・ウィルダネス(以下BWCAWと省略)という、カヌーイストたちのために保護された場所があります。その区域内だけでも何百個も湖があって、幾つもの湖を渡りながら旅ができる場所があるのですが、そこで私は自然の中にいる素晴らしさを教えて頂きました。

伊勢神宮も自然が保護された素晴らしい場所です。でもただの自然が保護された場所、あるいは自然と共に生きている場所以上の「気」が流れていることを、ずっと疑問に思ってきました。

一体この気は、何だろう?

「神さまが宿っているから」と答えることも出来ると思いますが、私はミネソタのその場所にも自分なりの「神」を感じました。「神はどこにでもいる」と私は自分の体験からそう思っているのです。

でも、伊勢神宮とBWCAWや他の大自然を感じられる場所とでは、やはり何かが違うのです。

その違いを考えていた時、ある日ふと思い浮かんできたのは、神宮の自然には「人」が深く関わっているということでした。

BWCAWもキャンプサイトの設置など人の手が入っていますが、そこに人としての「日々の営み」があるわけではありません。

でも神宮には、人としての日々の営みがあり、それが1日にも欠かさず千五百年以上と続いている。

人が当たり前のことを当たり前のこととして、黙々と淡々とやっていくことは、もう当たり前のことではないですが、その営みから作り出されるものが、この独特な「気」を作り出すのではないかとある時ふと思ったのです。

この独特な「気」に形容詞をつけるなら、やはり「清らかさ」だと思います。

この清らかなエネルギーは、自然の中の木々や草花だけでは、そして動物だけでは作り出せない気であると思います。

地球上で唯一人間だけしか創り出せない気、エネルギーは、「清らかさ」。

伊勢神宮の参道を歩かさせて頂く度に、このことを思うのです。

私にとって伊勢神宮とは、人として、日々どのように生きたらこの清らかな気を創り出せるか?をいつも考えさせられる場所です。

先日伺った時も、そのことをとても考えてながらお参りさせて頂きました。

「清らかさ」のお手本となる場所が近くにあり、このように身近に体感させて頂けるのは、本当に有難いことだと思いながら歩かせて頂きました。

また今日も自分の居る場所に、この「清らかさ」を創り出せるように頑張りたいと思います。

ザリッチ宏枝

「私は愛されている」

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何か良いことがあると、自然と感謝が湧き上がってきたり、「愛されている」と感じたりすることが容易にできます。

でも、辛いことがあったり、体調を崩したり、急に不安な気持ちに襲われたり、不運だと思うようなことを体験している時には、この「愛されている」という感覚を持つことは、とても難しいことだと思います。

でも、辛い時こそ「愛されている」と感じることできたら、どんなに救われることでしょう。

ずっと以前に学んでいたアロマのレッスンで、「全ては愛の中で起こっている」という言葉に出会った時、心の奥底ではそれが真実だと反応しながらも、心レベルで納得するまでには時間がかかりました。

今では、「全ては愛の中で起こっている」と完全に信じることができるようになりましたが、これまで何度も辛いことがある度に、マントラのようにこの言葉を唱えていたことが懐かしいです。

「私の日常の中で起こる全てのことは、私の中の愛を思い出すために起こっている。」

そう思うことで、何度救われたことでしょう。

「愛がないから苦しんじゃない。愛があるから苦しんだ。」

そう何度、自分に言い聞かせたことでしょう。

本当によく観察していると、最悪だと思う状態の時でも、そこに救いが用意されています。

どんなに辛い時でも、「まだ、こうして生きている、生きていることだけでも、すごいことだ…」と思えたら、もう大丈夫です。

生きてもいたくないほど苦しくても、でもやっぱり生きている…。そのことが、本当はとても有難いことだと気づけたら、もう大丈夫です。

人は、自分の中で「愛されている」という感覚を持てることができたら、何が起きていても、心を強くしていられます。

「私は愛されている」

何か良いことがあったわけでも、誰かから愛される行為をされた訳でもなく、どんなに暗闇の中にいてもそう感じることができるように多くの人になってもらいたいと思っています。

「みんな愛されているんだよ!」と、地球上に響き渡るくらいに声を張り上げて叫びたいくらいです。

「みんな、愛されている」

これは、真実です。

ザリッチ宏枝

「今だ!」

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皆さんは、ある時急に「今だ!」という感覚が湧き上がってきて、そう感じた通りに動いたら、物事がすごくうまくいったということがありますか?

私は、とてもよくあります。

「今だ!」と思って動いたら、

「丁度、これ探していたんです!昨日、お店で買おうかどうか迷っていたくらい。そして、今日は私の誕生日なんです!」

「丁度、そのテーマでお仕事をしたいと思っていたんです。」

「丁度、それをやりたいと思っていたんです。」

「丁度、昨日からそのことがテーマだと答えを探していたんです。」

「丁度、これ食べたかったの!」

という会話になることが多く、タイミングよく動けたことに共に喜びを感じるがことが増えています。

今回の新しい仕事場についても、何十件もネット上で検索していた日々が続いた後、ある朝に「今だ!」と、ある不動産屋さんを思い出して出かけていったら、まず最初に紹介された物件でした。

でもこの「今だ!」が来た時、やるべきことをしていなくて他のことの処理で忙しくしていたり、モタモタしてしまって、感じたままに動けずにいると、事を起こせないことも多いのです。

なので、今の私は、「今だ!」が来た時にすぐに動けるように、日頃から片付けるべきことは早め早めにして、体も心も、身の回りも整えておくことを優先するようになりました。

それでもまだまだモタモタすることが多く、もっと先手先手で動けるようになりたいと思っています。

この「今だ!」の感覚は、私にとって、空を見上げるタイミング、4つ葉のクローバーを見つけるときのタイミングにも関係していることがわかってきました。

「今だ!」という感覚が自分に入った時に空を見上げると、この記事に使った写真のように空に虹色の部分を発見するのです。

そして、愛犬を散歩途中に「今だ!」の感覚が入った時に地面を見ると、ほとんどの場合、そこに4つ葉のクローバーがあるのです。

この感覚は、これから生きていく上でとても大切な感覚であるように思うので、意識を向けるようにしています。

皆さんもこのような感覚が走る時は、偶然だと思わず、ぜひしっかりと意識を向けて観察してみて下さいね。

何かとても大切なことに気づくきっかけかもしれません。

私も引き続き、観察を続けたいと思います。

ザリッチ宏枝

森から空へ

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こちらは私と主人が共有するレッスンとセッションのためのスペースです。

8畳一間にちょこっとキッチンがついていて、トイレとバスは別々で、ベランダなし、北向き。

住むにはあまり良い物件ではありませんが、私たちがお仕事で使用させてもらうには充分なスペース、条件でした。壁紙を自分たちで張り替えた後、大家さんが新しいエアコンを用意してくれて、最初にこのお部屋を見つけた時よりも、随分とお仕事させて頂きやすい環境が入居を決めてから整っていきました。普通の住居を営業用に使わせて頂くことに許可を頂けることはあまりない中で、こちらの大家さんはそのことを快諾して下さるという、本当に有り難い流れがありました。

この場所は、車でのアクセスも良く便利の良い場所でしたが、周りに木々も多く、敷地内にもたくさんの花が植えられていて、四季折々に楽しませていただきました。鳥も蝶々もたくさん飛んできて、森の中にいるような感覚になるお部屋でした。

7年もの月日が流れる中で、たくさんのレッスン、セッションをさせて頂きました。たくさんの涙と笑いがあり、このお部屋の空間が本当に大好きでした。

ただそれでも不便さを感じることも出てきていたので、もっと良い場所はないかなと、これまでに何度か引越しの話が出たのですが、どれも実現せずにいましたが、この2月に入って突然体と意識が動いて、新しい物件を探す流れになり、すぐに候補となる物件に出会いました。

もう来週からですが、新しい場所でレッスン・セッションルームがオープンになります。

車だけでなく、公共交通機関のアクセスも良い場所になったので、森の中という環境とはいきませんが、今度は「空」をとても感じるお部屋となりました。

私が時々インスピレーションを頂く「朝熊山」という山も見えるお部屋になりました。

私は、近鉄電車が走っているのに出会うと妙にワクワクしてしまうのですが、新しい場所は駅に近いので(近鉄五十鈴川駅徒歩4分)1日に何度も近鉄電車が走っているのが見れるのもワクワクします。

お仕事用の場所であれば、住居用でなく、店舗用の場所をお借りしてしっかりした店構えにするのが本来のステップアップなのだと思いますが、私たちの場合は、スペースが大きくなるだけで、また住居用のスペースです。ここをまた皆さんにとって学びやすい環境に育てていきたいと思っています。

ちょうど世間は卒業・入学シーズン。別れと出会いが交差するこの時期、私たちのお仕事の場もその様な感覚で、これまで慣れ親しんだものとの別れへの寂しさと、新しい出会いへのワクワク感の感情が交差しています。

何であれ、前に進むことは良いことだと思って頑張りたいと思っています。

また準備が整いましたら、新しい場所についてはご案内をさせて頂きます。

この新しい場所で、多くの出会いがあることを、今心から願っているところです。

ザリッチ宏枝